![]() 正門の前は、行きかう生徒たちでごったがえしていた。新入生に加え、部活の勧誘でビラを配る在校生が混じって雑踏はますます拡大している。人ごみが苦手なは思わずため息をついた。誰かにぶつかってしまわないよう、うつ向いて身体を小さく丸めながら人波を縫うようにして歩く。 「アメフト部マネージャー募集中です!」 目の前に突然ビラを差し出され、は肩を弾ませて立ち止まった。いつの間にか、いかにも体育会系だといわんばかりに体格のしっかりした男子が、三人ほど自分の周りを囲んでいる。 は顔が真っ赤になると同時に、背筋にヒヤリとした嫌な汗が流れるのを感じた。勧誘のビラには“アメフト”と目立つ字で大きく書かれている。なるほど、彼らの身体が大きいのも当然だろう。はゆっくりと息を呑んで、口を開いた。 「あの、あの、せっかくですけど私、運動音痴だし……」 語尾は弱々しく、不明瞭に消えていく。すぐにその場をやりすごそうとしたが逆に距離をつめられてしまい、どうにもいかなくなった。一度立ち止まってしまうと不思議なもので、周囲にはどんどん人が集まってきて、間をすり抜けてしまおうにもいっそう身動きは取れなくなる。 アメフト部、野球部、バスケ部、陸上部、ラグビー部と手の中には順調にビラが増えていく。自分の要領の悪さに は思わず泣きそうになった。革靴を履いた足は呪いにでもかかってしまったのか、石のように固まってしまって動かない。 「すみません。私……失礼しますっ!」 やっとのことで絞り出した声も情けなく震えている。もらったビラを抱きしめ、は丁寧に会釈した。恥ずかしさで顔を上げる事が出来ないまま、全力で雑踏を駆け抜ける。みっともなく目尻に溜まった涙が、向かい風にあてられてすうっと乾いていく。糊の効いた新しいセーラー服はまだ新鮮な匂いがして着慣れないせいか、なかなかに動きづらい。 「きゃっ」 ドンッ、と息が止まるような衝撃が走る。ぶつかったはずみを食らい、はバランスを崩してよろめいた。反射的につぶった目を開け、驚いたのもつかの間、自分を見おろす青年を見ては絶句した。 「ってーな」 目の前の男が、苛立たしげに小さく舌打ちをする。は久しぶりに血の気が引く感覚を思い出した。 今ならヘビに睨まれたカエルの気持ちがわかるような気がする。否、目の前にいるのはヘビと言うよりももっと獰猛な……例えるなら野生の虎といったところだろうか。いかにも力強い印象を受ける。眼光は鋭く、背格好はたくましく、周囲よりも遙かに長身だ。先ほど数人に囲まれた時と同じ――それ以上の迫力があった。 「あ……」 は頭が真っ白になった。雷に打たれたかのような衝撃に身体が硬直する。全身がざわりと総毛立ち、軽い目眩さえ覚えた。さまざまな恐怖と焦燥がの中でせめぎあい、身の内から揺るがしている。とにかく、早く謝らなければ。 「ご、ごめ……ごめんなさい……!」 は身体を小さく縮めて、深々と頭を下げた。涙を含んだような声で謝るからか、青年の瞳にはほんの僅かな動揺の色が伺える。 「あの……怪我、とかって……」 「ねーよ。次からちゃんと前見て歩け」 彼は少しだけから顔を背け、ぶっきらぼうにそう言った。すっかり怖気づいていたであったが、そっけないながらも自分を気遣うような彼の口ぶりに少しだけ落ち着きをとり戻す。 は早鐘のようにせわしなく脈打つ心臓を押さえながら、もう一度丁寧に頭を下げた。 「はい……ぶつかっちゃって、本当にすみませんでした!」 「もういーって。んなことよりオマエ、バスケ部ってどこだか知ってっか?」 「バスケ部……あ、えっと――」 確かもらったビラの中に、バスケ部のものがあったはずだ。は振り返って人混みを見渡し、元きた方向を指さした。 「……さっき、あっちのほうでバスケ部のビラ、もらいました」 「ふーん。サンキュ」 それだけ言うと彼はさっさとの横をすり抜けて、去ってしまった。これほどの人混みの中にあっても、彼の長身は頭一つ分抜きんでていてよく目立つ。部活を探していたということは、彼も同じ一年生だろうか。 は彼の背中を目で追いつつ、ぼんやりと宙を眺める。乱れた呼吸を整えるようにして深く息を吸い込むと、次第に鼓動も落ち着いてきた。 「卓球部でーす! お願いします!」 その時、爽やかな女生徒の声と共にビラが差し出される。 「あっ……」 自分のまだるっこさに嫌気がさしながら、は会釈してビラを受け取った。 いくつかの勧誘につかまりながらも、ようやく学校の敷地外へ出ると、はほっと胸をなでおろした。もらったビラはすべてまとめて二つに折りたたみ、すみやかに鞄の中へしまった。運動部へ入るつもりはないが、部活についてはまたゆっくり選べばいいだろう。新入生獲得のための勧誘合戦は熾烈をきわめているらしく、あたりにはまだ学生たちのにぎやかな声が飛び交っている。 は、ゆっくりと正門を振り返った。堂々とかかげられた銘板には、私立誠凛高等学校と刻まれている。昨年できたばかりの新設校で、未だ三年生はいない。誠凛を選んだ一番の理由は、自宅から近いことだった。徒歩にして十分もかからないし、校舎もきれいだったのでパンフレットを見てすぐに気に入った。ただひとつだけ気がかりがあるとすれば、男女共学であるという点のみだ。 は、異性があまり得意ではない。日常生活に支障が出るほどではないため恐怖症といえばおおげさだが、内向的で物静かなは男子の粗雑な身ぶりに大きな恐怖を感じてしまう。自分のそんな性質を懸念して、進路を決めるまえは女子高に通うことも視野に入れていたが、両親が共働きで学校が近いほうが都合もいいため、は意を決して誠凛に行くことを選んだ。 共学なら異性に慣れるかもしれないし、克服して、いつか誰かと恋愛をしてみたい気持ちもあった。 砂糖菓子のような淡い憧れを抱いていたが、現実は甘くなかった。は改めて、異性が苦手であることを実感した。さっきのような調子では先が思いやられることだろう。昨日まで膨らんでいた高校生活への期待は、空気の抜けた風船のようにペシャリと潰れ、不安な気持ちばかりが押し広がってゆく。 鼻の奥がツンと痛くなって、はきゅっと唇を引き結んだ。通学鞄を持つ手にも自然と力が入る。 はひとり、帰路を辿った。優しい日差しが、穏やかな春の訪れを感じさせる。並木の桜は風に揺れ、梢をはなれた花たちは宙を舞って吹きあげられた。地面には淡いピンクの花びらが絨毯のように敷きつめられていて、土足で踏んでしまうのはなんだか申し訳ないような気がした。 ![]() |