「1−B5番、火神大我!! キセキの世代を倒して日本一になる!」
 は校舎の屋上を仰いで、ぽかんと呆けた。一人の男子生徒が鉄柵に立ち、真っ青な空を背にして誇らかにこちらを見下ろしている。
 朝礼の始まる、わずか五分前のことだった。グラウンドには溢れんばかりの陽光が降り注ぎ、全校生徒が整然と列をなしている。思いもよらぬ出来事に、その場にいた誰もが目を丸くして息を呑んだ。沈黙が支配すること一瞬、天をも震わす彼の宣言は全員を響動めかせた。
「おいおい……」
「なんだあれ」
「バスケ部だって!」
「日本一って……ムリじゃね?」
 泡を食い、口々に好きなことを言う生徒たち。何人かの教員は、押取り刀で校舎へと駆けていった。それを受けて、さざめきもさらに大きくなってゆく。

 一連の出来事には、ただ凝然としたまま両手で口元を覆った。妙な緊張感で胸がざわつく。自分の中でいろんな気持ちが、堰を切ったようになだれ寄せてくる。
 彼があそこから落ちなくてよかった。キセキの世代ってなんだろう。一体なにを考えて、こんなことを仕出かしたのか。あんなに高い所で、大勢の前でも堂々としてるのだからたいした度胸だ。

 ――私もあんな風に、人前に出られたらいいのに。

 は眩しげに目を細めた。彼が輝いて見えるのは春の陽光のせいばかりではない。彼の凛とした態度と、みなぎるような自信が尊い。そう考えるとどうしようもない羞恥に襲われた気がして恐ろしくなり、は首を項垂れた。自分は他人に羨望の眼差しを向けるばかりで、なんの努力もしていない。そのくせ図々しく安易に自信がほしいと思っている。自信をつけたい。分不相応かもしれないが、自分のことが嫌いなまま、うじうじと燻っているのは嫌だ。

 程なくして騒ぎは収まり、朝礼は予定されていた時間に行われた。しかしグラウンドにいた生徒の誰も、その内容はまるで頭に入らなかった。
 声高らかな彼――火神大我は、の中で強く印象に残った。








 自信をつけるとはいっても、には他人に胸を張って言えるほどの取り柄などない。難儀なことに、何をするにも気が引けてしまう。
 終礼を耳半分で聞き流しながら、は部活動の一覧が書かれた紙を眺めていた。最初にの目に留まったのは、文芸部。読書なら時間を忘れてのめり込むことができる。小説から奇書や珍本の類まで、ジャンルを問わず広く読んでいるし、鞄にはいつも何かしらの本は忍ばせている。しかし、それが活かせるかといったら微妙だ。本を読むのと小説を書くのでは違う。読書好きな友人が欲しいとは思うが、それだけなら図書委員でいいだろう。
 次にの目を引いたのが、手芸部。どちらかといえば裁縫は得意といってもいいし、細かい作業は嫌いじゃない。むしろ、夢中になって打ち込めるほうだ。
 ――いいかもしれない、手芸部。
 今日はこのあと、委員会活動がある。すぐに見学に行くことは無理だが、終わったら覗いてみるのもいいかもしれない。そうなるとは俄然、終礼の終わりを待ち遠しく感じた。
 担任の話は、、嫌気が差すほどに長かった。最後の礼を済ませるやいなや、我先にと教室を飛びだす生徒が何人もいた。他クラスの生徒たちはとっくに放課後を迎えているらしい。も急いで図書室へと向かった。

「すみません。遅れました」
 後ろのドアから図書室に入ったが、やはりは注目を浴びてしまった。責められているわけではないが、注がれる視線がどうにもいたたまれず、ともすると逃げ出してしまいそうな気持ちになる。
 委員長らしき先輩は線の細い女生徒で、長い髪を一つにまとめ涼し気なノンフレームメガネをかけている。彼女は焦るを認めると、安心感を与えるように優しげな笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。そこの机のプリントを取って、窓側の席に座ってね」
「はい」
 言われたとおり詰まれていたプリントを取り、は窓側に移動すると、なるべく片隅の目立たない席に座った。
 先輩は図書室の使用状況や普段の活動内容についての事柄を恬淡と説明してゆく。図書委員は本の貸出と返却の手続きや、本の入れ替え、ブッカー貼り、図書新聞の作成、日誌の記入、最後の戸締りなどと、思っていたよりも雑務があった。二人一組の当番に分かれ、一週交代でこなすらしい。
「って言っても、基本的には誰かしらの二年生がいると思うので、わからないことがあれば遠慮なく聞いてくださいね。なお、当番の組み合わせは公平にくじ引きで決めたいと思います」
 そう言うと、先輩は当選箱を振り窓側から順に回していった。速いペースで、のところにも当選箱が回ってくる。
 ――男子と当たりませんように……。
 そう強く念じながら、は箱に手を入れてくじを掴んだ。中心に大きくアルファベットの“A”が書かれてあった。ほんの僅かな罪悪感を覚えながら、こっそりと近くに座る生徒のくじを覗いてみる。見渡せる限りでは”A”のくじを引いた生徒は見当たらない。もしかすると二年生と当たる可能性もある。抽選箱は最後に、先輩のもとへ戻っていった。
「全員引いた? くじ一枚余ってるけど、誰か欠席?」
「すみません、ボク飛ばされてしまったんですけど」
「あらら、そうなの。ごめんね最後になっちゃって」
「いえ」

「じゃ、全員まわったみたいだしペアごとに顔合わせしといてね。司書室のドアに当番表貼ってあるから、確認したら今日は解散ってことで」
 先輩が拍子をとると、生徒たちは鞄を持って続々と立ち上がった。一歩遅れて、も迷い足で集まりの中に加わった。

「あの、A引いた人ですか?」
 唐突に声をかけられ、は内心ギクリとした。声は涼やかで清静なものだったが、聞き間違いでなければ、自分のペアはきっと男子だ。及び腰で振り返ってみたものの、不思議なことに背後には誰もいなかったのだ。
 は小首を傾げながらも周囲を伺うが、やはりどこにもそれらしき人物は見当たらない。
「そっちじゃなくて前です」
 目の前にいる彼は、突然そこに現れたような気がした。思わぬ近さに驚いて、は半歩後ずさった。
「ごめんなさい……私、ぜんぜん気づけなくって」
 鈍くさいと思われることには慣れているが、目の前にいるのに気づけないのはあまりにも間が抜けている。
 彼は確かに”A”と書かれた紙を手にしていたが、はそれを認めると、すぐさま俯いて床の方へと目をそらした。赤らめた顔を誤魔化すようにして、ぎこちなくお辞儀する。
「……1−Aの、って、いいます……」
 やっとのことで吐き出した声よりも、鼓動の音のほうが大きく聞こえる。は自分が今どんな顔をしているのか、すぐにでも確認したくなった。
「1−Bの黒子テツヤです。よろしくお願いします」
 黒子は礼儀正しく会釈を返す。
「こちらこそ、お願いします」
 口の中は乾いていたはずなのに、喉は何かを嚥下してごくんと鳴る。はそこで、何も言えなくなってしまった。気まずさを誤魔化そうとして指を絡めてみたが、そんなことが気休めになるはずもなく。何か言わなくてはバツが悪い。そう思うほど頭のなかは真っ白になり、彼との間に沈黙が居座りはじめる。口火を切ったのは、黒子の方だった。
「当番、確認しに行きませんか?」
「あ、はい。そうですね……」
 は相槌を打つように、こくりと頷いた。カウンター奥の司書室へ続くドアの前に、当番表が貼ってある。どうやら来週から、早速当たっているらしい。余白のところには”開室八時〜十七時閉室。時間厳守。”と達筆な字で書かれてあった。
「それじゃあ、お疲れ様です」
「はい、また……っ」
 彼が図書室をあとにすると、肩の荷が下りたはかすかな嘆息をこぼした。これから一緒に話す機会も多くなるというのに、いつまでもこんな調子では駄目だ。同じ図書委員同士、ちゃんと仲良くしたい。

 ――次は、がんばろう。来週は、私からおはようって言わなくちゃ。